忘却の果ては薄味。

今日がNHKフィギュアだということを忘れていた。いや、そもそも覚えていなかった。気付けばまた、私の興味が一つ殺げた。
でも実際には昨年からフィギュア関連は追いかけていない。それは仕事の現場が変わり、また自分周辺が変わったことと無縁ではなかろう。
いや、でもそれだけじゃない。
私の大好きなミキティが大人になってしまった。
彼女は今やすっかりベテランの枠に入り、ひたすら情を込めて滑るようになってしまった。それは素晴らしいことだ。でも目的が転化した。転ぶ心配はもう要らない。順位も気にしなくていい。彼女が彼女らしく滑ることが全てで、思いが観客に伝われば良い。だってそれが彼女の望むことなんだもの。でも本当にそれで良いの。
リアルタイムで追いかけなければならないほどの不安定な魅力は、追いかけるものがあったからこそ発生する。逃げた、と例え周りが言ったとしても、それは彼女がまだ勝負師だったから、図らずも取らなければ為らなかった選択肢だったのだ。彼女は、もう勝ちにこだわっているようには見えない。それは昨年のオリンピックシーズンから少し感じていたこと。
昔のように無心にがむしゃらに滑る彼女を待ちわびたところで、ただ時間を空費するだけじゃないかと、私自身が待てないのだ。

寂しい。