寂しさに酢がしみる。

慣れ親しんだブログが次々と幕を引き、去ってゆく。去り際も人それぞれ。丁寧な挨拶をする人しかり、突然爆弾のように投下された閉鎖宣言しかり・・・。

何でかな。寂しいぜ。

顔見知りでも連絡を取り合う仲でもないことは時に不便だが、しかしだからこそ、こういったweb上で堂々と他人の独り言を覗き見できる、のだと思う。私は知り合いのブログは基本的に読まない。そこに書かれていることと生身の人間のギャップ、普段の生活では知りえないその人の生の感情なんぞを見せられたら堪らんからだ。(だからmixiも苦手だ。)

何となくだけど、「ブログ書いてるから見て」って言われると、それは誘いでもなんでもなくて絶対的な至上命令のような気がする。メールや電話とは違う一方通行のコミュニケーションを当然と考えて、読んでいることが前提となって関係は築かれる。たまたまヒトと会ったときにその子の近況を知らなかったりすると、「何でブログ読まないの。書いてあるじゃん。」的なあの空気が苦手だ。知らねーよ!、読んでねーよ!という言い訳が通用しないことにも胸をかきむしりたくなるっちゅーか、なんちゅーか。

話は戻るが、自分が大好きだったブログの方たちは、きっちりとした自己批判の眼を持っている自立した人たちだった。読んでいて軸がぶれないし、退屈じゃない。そこに落ちてる感情も丁寧に拾い上げて、言葉にしていく人たちだった。何でこんなに一斉に去ってしまったのかは分からないけれど、自分もその姿勢を見習いたいのう。

春、心機一転、環境の変化と共に考えることがあったのだろうか。

その流れとは逆に冬の初めあたりに一度閉鎖してしまったヒトがまた新しくブログを始めていた。それを発見したのが一昨日。一気に読んだ。
のんきに美術展や映画、音楽の話を徒然なるままに書き綴り、私に新しい刺激と情報を与えてくれたヒトだった。大学を辞める辞めないでもめているらしいこと、何かに大きく悩んでいるらしいことが文章の端っこからかすかに伝わってきてはいた。そんなときの突然の閉鎖。驚いた。
でももっと驚いたのは、新しい場所に書き連ねられていること。揺れる感情の羅列、過去の痛々しい出来事、近親相姦の事実。今まで自分が慣れ親しんだスタイルとのこの落差よ。

文章が上手い彼女のこと、フィクションであって欲しいと思った。

事実なのか、どうなのか。私に知る術はない。他人であってよかった。強く思う瞬間。他人だからこそ、知れる事実もある。